专栏:AI时代外语教育的苦恼与摸索(3) 外语学习,何以登峰造极? 2019年01月10日11:00 来源:人民网-日本频道 中国游客已连续五年蝉联出境游第一大客源国,单看2018年国庆黄金周,出境游人数就高达700万人次。苏宁易购发布的国庆出行消费大数据报告显示,随着越来越多人走出国门自由行,今年翻译机销量同比增长高达1107%。 翻译机市场的爆发离不开人工智能(AI)技术的发展。那么问题来了,AI时代,我们还用学外语吗?翻译这个职业会失业吗?带着这些思考,特定非营利活动法人日中友好市民俱乐部理事长、日中友好中国大学生日语专业本科毕业论文大赛评审会主席小野寺健先生撰文《AI时代外语教育的苦恼与摸索》,试图探讨外语学习的意义与乐趣所在。 第三章 外语学习,何以登峰造极? 外语水平想要超越母语水平并非易事;提高外语水平的捷径不如说是提高母语水平。 以夏目漱石和森鸥外为例,他们熟读四书五经等中国典籍,优秀的语言能力帮助他们顺利完成了在英国、德国的留学。 在那个没有字典的年代,森鸥外将法兰克福出身、拼写独特的歌德的名字“Goethe”写作“ギョオテ”,曾被齐藤绿雨(作家、评论家)讽刺说“恐怕连歌德本人都不知道‘ギョオテ’指的是自己”。但森鸥外对歌德作品高雅且优美的翻译至今被人津津乐道。 二人的语言天赋自不必说,但我认为,他们学习外语的动力是身为国费留学生所背负使命感以及对语言学习的“激情”。 在上一章我曾说过,从语言学角度来看,中国学生选择日语作为专业,或者将日语作为第二外语是一个非常合理的选择。但是俗话说 “兴趣是最好的老师”,“激情”也是提高语言能力的关键。选择喜欢的语言来学习,可以丰富自己的人生。 与之相对,我并不推荐学生为了便于就业或升学而选择某种语言。时代变化之快,导致我们难以预测未来的发展趋势。这一点从俄语的衰退就不难看出。 那么,怎样才能成为外语高手?举个例子,“小春日和”德语写作“Altweibersommer”,英语写作“old wives' summer”。从日语的字面意思来看,“小春日和”的确会让人误以为是“晴朗安稳的春日”;而英语把农历十月的旧称准确的表达了出来,可以让读者们体会到“小春”这一词其实是晚秋到冬天的季节用语。 再举个例子,海参的德语写作“Seegurke”,这个词直译的意思是“海中的黄瓜”,难免让人觉得二者形象大相径庭。 我在上高中时读过汤川秀树的《旅人》,其中有一个词是“メッチェン” (少女)。当时知识渊博的高等学校学生称年轻女性为“メッチェン”,将其作为暗语使用,暗自较劲谁更有文化素养。顺便说一下,我高中时代就有别名“少女迷”,到现在也没有变。 通过学习多门语言,可以接近语言和事物的本质。从这个层面来说,学习外语的过程充满了收获知识的喜悦。 另有俗话说,“学问没有捷径”“罗马非一日建成”。我知道的天才大概只有阿拉伯语学家井筒俊彦。据说他可以轻而易举地记住400页的阿文原版书,熟识阿拉伯文化和习俗,能与当地专家侃侃而谈。 夏目漱石把“I love you”译作“月が綺麗です”(月亮真美)被世人称道。对我来说,能够培养出像夏目漱石一样有着丰富感性的学生才是理想的教育。 译文:
AI時代の外国語教育 その苦悩と模索(三) 人民網日本語版 2019年01月10日10:24人民網ではこのほど、「AI時代の外国語教育 その苦悩と模索」をテーマとする小野寺健氏による連載をスタート。小野寺健氏は特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部の理事長を務めるほか、長年にわたり数多くの中国の大学で日本に関する教育指導を行い、「淮安市5.1労働栄誉賞」や「第二回野村AWARD」、「中国日語教育特別感謝賞」などを受賞しているほか、人民日報海外版では「中日友好民間大使」として紹介されている。
第三章 外国語を極めるには?
外国語が母国語を超えることは難しいので、外国語能力を高める早道は、逆説的ではあるが、母国語の能力を高めることが肝要となる。
夏目漱石と森鴎外を例に挙げると、彼等は四書五経を始めとする漢籍に親しんでおり、彼らの優れた言語能力が、イギリスとドイツ留学に於いても、開花したと思われる。
辞書の無い時代だったので、森鴎外は、フランクフルト出身で特異なスペルであるGoetheを、「ギョオテ」と表記し、斉藤緑雨から「ギョオテとは、俺のことかとゲーテ言い」と揶揄されたが、その格調高い美文調の翻訳は、現代に於いても、読者を魅了し続けている。
そして、二人の素質の高さもさる事ながら、言語習得の原動力は、国費留学生としての使命感と「情熱」にあったと思われる。
なお言語学的には、日本語を専攻するか、第二外国語として選択することは、中国人学生にとって、理に適う選択とすでに前述しているが、「好きこそ物の上手なれ」もまた一つの真理なので、語学上達の鍵の一つである「情熱」と考え合わせると、好きな言語を選ぶことは、自己の人生を豊かに彩ることになる。
これに対して、就職や進学に有利な言語を選ぶと言う選択は、ロシア語の衰退からもわかる様に、トレンドや時代の激変には脆いので、あまり薦められない。
では外国語を極める上でどういった点に心がければいいのだろうか?
「小春日和」を例に挙げると、英語の直訳は「老婦人の夏」となり、日本語を鵜呑みにすると、春の穏やかな日和を想像するが、この英語表現は、正に旧暦の十月を指す異称を的確に表しており、小春という言葉は、晩秋から冬に使われる季語だということを自覚させてくれる。
また、海鼠のドイツ語を直訳すると「海の胡瓜」となり、これもまたより実物に肉薄をしている。
そして、高校時代に読んだ湯川秀樹の「旅人」の中には女の子を意味するドイツ語の「メッチェン」という表現があり、該博な旧制高等学校生は、若い女性のことを、「メッチェン」と称し、学生間の隠語として使い、教養を競い合っていた。なお、筆者の高校時代の号は、「メッチェン傾れ」であり、その嗜好は、老境に至っても変わっていない。
かくて、複数の言語を学ぶことで、言葉と物事の核心に迫り得るので、この様な視点で外国語を学べば、学びの過程は、知的な喜びに満ちたものになるといえるだろう。
「学問に王道無し」や「ローマは一日にして成らず」と言われるが、筆者が知っている中で「天才」と呼ぶに相応しい存在は、アラビア学の井筒俊彦だ。彼は四百ページに及ぶ原書を易々と丸暗記をするなど、アラビアの文化と習俗に習熟しており、現地の専門家と対等な議論が出来たほどだと言われている。
そして、漱石は、「I love you」を、「月が綺麗です」と訳したが、この様な名訳をする豊かな感性の持ち主を育てることが、筆者の理想とする教育だ。
「人民網日本語版」2019年1月10日
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